本心
- 2018/06/30
- 22:22
1年ほど前から読み始めたブログがあります。読み始めたきっかけは、誰かがSNSでシェアしていたからだと記憶しています。
そのブログは、現役の小学校教師である、新間草海(あらま・そうかい)さんの
「困らないけど、いいですか」
というブログです。(↑クリックするとそのブログ画面が開きます)
このブログ、本当に大好きです。
いつも、いつも、更新を心待ちにしています。
(10年前から始めたブログだそうですので、過去記事は時々チェックしつつも、新しい記事を主に読んでいます)
こんな先生に自分も教わりたかったし、子供たちにも出会って欲しい、と心の底から思います。
ですが、残念なことに我が家の子供たちの通う小学校にも幼稚園にも、こんな素敵な先生はいません。
その素敵さは、実際にブログを読んで頂けたら分かると思います。
最初は、ブログタイトルの「困らないけど、いいですか」の言葉の意味に、「ん?どういうことかな??」となる方も多いかもしれませんが、
その意味が分かると、すごく深いです。先月5月29日に、ブログタイトルのことに触れている記事もありますので、そちらも読んでみてくださいね。
「困らないけど、いいですか」 本当におすすめです!
さて今日は、先日、その新間さんのブログで更新された「あいさつ」という記事が、また、ぐっとくる内容でしたので、
ご紹介したいと思います。
新間草海さんのブログ「困らないけど、いいですか」内の記事「あいさつ」2018.6.17
↑クリックするとその記事の画面が開きます。
記事の中に↓こんな箇所があります。(ブログ記事本文からの写し)
「あいさつ」
あいさつを強要すると、どうなるか。
これ、あいさつをしない子が育つのですわ。
教員になってしばらくは、どうしてそうなるのか、分かりませんでした。
学習すればするほど、きちんと身につく、と思っていたから、
まだ指導が足りんのか!まだ、足りんのか!
と思うしかなかった。
ところが、よく自分に照らして考えてみると、ボーッと、見えてくることがある。
あいさつを強要される。
あいさつをしないと、ペナルティがある。
こういう状況になると、人間は2つのどちらかの行動をとりますね。
つまり、あいさつをする、あるいは、しない。
このどちらか、です。(当たり前だけど)
ところが、このどちらも、地獄なのです。
あいさつをする場合⇒⇒ペナルティを避けられた、という安堵と次への不安⇒心の中で、ペナルティがどんどんと重要なことになる⇒前よりももっとペナルティを避けたくなる⇒あいさつに対する恐怖が増す
あいさつをしない場合⇒ペナルティを受ける⇒いやだなと感じる⇒自分もしくは誰かを責める⇒責めることを正当化する⇒いつも自分や相手を責める⇒あいさつがきらいになる
こんな内容です。
(すみません、記事の3分の1くらいコピーしていますね、、、)
ですがぜひ記事全文を読んでみてください。
小学校の先生というと、元気にあいさつしましょう!と言い、朝のあいさつでも、声が小さいと、「はいもう一回!!元気な声で!!」とお決まりの様に言って、わざわざ言い直させたりしますよね。また、「あいさつ運動」なんていうのを張り切ってやって、登校時、校門に保護者や先生が立って、声高に「おはようございます!」なんてやったり。。
そういうのに、本当に小さい頃から慣れてしまって、子供は仕方なく、元気にあいさつさせられてるけど、
だけど、それは本当の意味でのあいさつとは程遠いものになっていて。。。
でも、新間さんは違います。
教師が、本心で、「あいさつしてもしなくても」と思えていることが肝心、だと。
これって新間さんは、さらりと書いてるけど、教師がこのように言えるって、ほんとにすごいことです。
うわっつらでない、本心がそうなっていること。
「あいさつしてもしなくても」どちらでもいいのだと。
この、記事の「あいさつ」の部分を「給食の完食」に置き換えてみました。
新間さんの意向とは違ってしまうかもしれないことを承知の上で、でも、、、「給食の完食」に置き換えてもいいのかもしれない、と思いました。
「給食を完食出来ても、出来なくても、どっちでもええわぁ」と、先生が本心から思えていたなら。。。
完食しないと、シールをもらえないという、ペナルティーが無ければ。。。
注:完食しないとシールをもらえないことをペナルティーと感じるかどうかは、子供の性格にもよると思います。実際、完食シールになんか見向きもせず、食べたくないものを残す子もいますよ、と幼稚園の先生から聞きました。ただ、子供によっては、(うちの末っ子もそうですが)シールを貼ることを義務のように感じて、それがプレッシャーになる子もいます。そうなると、完食シールをもらえないことは、ペナルティになると思います。
だったら先生に「完食を強要(もう一口食べてみようなどの声掛け)しないでください」とか、「完食シールをやめてください」と、言えばいいのでは?と思われる方もいるかもしれませんね。私も、心の半分ではそう思います。
でも、新間さんのおっしゃる「本心から」というのが重要なポイントなのだと思います。
保護者から指摘されたから、当園では完食を強要するのをやめました、完食シールを廃止しました、では、結局のところダメなのだと思います。
子供は本当に敏感です。。先生の本心をちゃんと見抜きますからね。
そうすると、新しい課題が浮上します。
うちの末っ子の登園しぶりの原因が、先生の本心レベルの話になるのであれば、
保護者である私に、出来ることはあるのでしょうか?
先生の本心にまで踏み込むことは、出来るのでしょうか?
以前に私が書いた記事「ここが日本だからです!」も合わせて読んで頂けると、先生の本心と向き合う難しさがより伝わるかと思います。良かったら読んでみてください!
このブログを書くことで、自分の心の中を整理出来るようになり、登園しぶりの問題がクリアになった反面、
この問題の奥にはすごく大きな壁が控えていて、簡単に超えることの出来ないものだぞと、自分自身から突き付けられたような気持ちになっています。
(教育者のプロである方のブログの力をお借りして記事を書きました。いち保護者として、プロの方の言葉はとても力強く、ためになります。)
最後まで読んで下さりありがとうございます!
そのブログは、現役の小学校教師である、新間草海(あらま・そうかい)さんの
「困らないけど、いいですか」
というブログです。(↑クリックするとそのブログ画面が開きます)
このブログ、本当に大好きです。
いつも、いつも、更新を心待ちにしています。
(10年前から始めたブログだそうですので、過去記事は時々チェックしつつも、新しい記事を主に読んでいます)
こんな先生に自分も教わりたかったし、子供たちにも出会って欲しい、と心の底から思います。
ですが、残念なことに我が家の子供たちの通う小学校にも幼稚園にも、こんな素敵な先生はいません。
その素敵さは、実際にブログを読んで頂けたら分かると思います。
最初は、ブログタイトルの「困らないけど、いいですか」の言葉の意味に、「ん?どういうことかな??」となる方も多いかもしれませんが、
その意味が分かると、すごく深いです。先月5月29日に、ブログタイトルのことに触れている記事もありますので、そちらも読んでみてくださいね。
「困らないけど、いいですか」 本当におすすめです!
さて今日は、先日、その新間さんのブログで更新された「あいさつ」という記事が、また、ぐっとくる内容でしたので、
ご紹介したいと思います。
新間草海さんのブログ「困らないけど、いいですか」内の記事「あいさつ」2018.6.17
↑クリックするとその記事の画面が開きます。
記事の中に↓こんな箇所があります。(ブログ記事本文からの写し)
「あいさつ」
あいさつを強要すると、どうなるか。
これ、あいさつをしない子が育つのですわ。
教員になってしばらくは、どうしてそうなるのか、分かりませんでした。
学習すればするほど、きちんと身につく、と思っていたから、
まだ指導が足りんのか!まだ、足りんのか!
と思うしかなかった。
ところが、よく自分に照らして考えてみると、ボーッと、見えてくることがある。
あいさつを強要される。
あいさつをしないと、ペナルティがある。
こういう状況になると、人間は2つのどちらかの行動をとりますね。
つまり、あいさつをする、あるいは、しない。
このどちらか、です。(当たり前だけど)
ところが、このどちらも、地獄なのです。
あいさつをする場合⇒⇒ペナルティを避けられた、という安堵と次への不安⇒心の中で、ペナルティがどんどんと重要なことになる⇒前よりももっとペナルティを避けたくなる⇒あいさつに対する恐怖が増す
あいさつをしない場合⇒ペナルティを受ける⇒いやだなと感じる⇒自分もしくは誰かを責める⇒責めることを正当化する⇒いつも自分や相手を責める⇒あいさつがきらいになる
こんな内容です。
(すみません、記事の3分の1くらいコピーしていますね、、、)
ですがぜひ記事全文を読んでみてください。
小学校の先生というと、元気にあいさつしましょう!と言い、朝のあいさつでも、声が小さいと、「はいもう一回!!元気な声で!!」とお決まりの様に言って、わざわざ言い直させたりしますよね。また、「あいさつ運動」なんていうのを張り切ってやって、登校時、校門に保護者や先生が立って、声高に「おはようございます!」なんてやったり。。
そういうのに、本当に小さい頃から慣れてしまって、子供は仕方なく、元気にあいさつさせられてるけど、
だけど、それは本当の意味でのあいさつとは程遠いものになっていて。。。
でも、新間さんは違います。
教師が、本心で、「あいさつしてもしなくても」と思えていることが肝心、だと。
これって新間さんは、さらりと書いてるけど、教師がこのように言えるって、ほんとにすごいことです。
うわっつらでない、本心がそうなっていること。
「あいさつしてもしなくても」どちらでもいいのだと。
この、記事の「あいさつ」の部分を「給食の完食」に置き換えてみました。
新間さんの意向とは違ってしまうかもしれないことを承知の上で、でも、、、「給食の完食」に置き換えてもいいのかもしれない、と思いました。
「給食を完食出来ても、出来なくても、どっちでもええわぁ」と、先生が本心から思えていたなら。。。
完食しないと、シールをもらえないという、ペナルティーが無ければ。。。
注:完食しないとシールをもらえないことをペナルティーと感じるかどうかは、子供の性格にもよると思います。実際、完食シールになんか見向きもせず、食べたくないものを残す子もいますよ、と幼稚園の先生から聞きました。ただ、子供によっては、(うちの末っ子もそうですが)シールを貼ることを義務のように感じて、それがプレッシャーになる子もいます。そうなると、完食シールをもらえないことは、ペナルティになると思います。
だったら先生に「完食を強要(もう一口食べてみようなどの声掛け)しないでください」とか、「完食シールをやめてください」と、言えばいいのでは?と思われる方もいるかもしれませんね。私も、心の半分ではそう思います。
でも、新間さんのおっしゃる「本心から」というのが重要なポイントなのだと思います。
保護者から指摘されたから、当園では完食を強要するのをやめました、完食シールを廃止しました、では、結局のところダメなのだと思います。
子供は本当に敏感です。。先生の本心をちゃんと見抜きますからね。
そうすると、新しい課題が浮上します。
うちの末っ子の登園しぶりの原因が、先生の本心レベルの話になるのであれば、
保護者である私に、出来ることはあるのでしょうか?
先生の本心にまで踏み込むことは、出来るのでしょうか?
以前に私が書いた記事「ここが日本だからです!」も合わせて読んで頂けると、先生の本心と向き合う難しさがより伝わるかと思います。良かったら読んでみてください!
このブログを書くことで、自分の心の中を整理出来るようになり、登園しぶりの問題がクリアになった反面、
この問題の奥にはすごく大きな壁が控えていて、簡単に超えることの出来ないものだぞと、自分自身から突き付けられたような気持ちになっています。
(教育者のプロである方のブログの力をお借りして記事を書きました。いち保護者として、プロの方の言葉はとても力強く、ためになります。)
最後まで読んで下さりありがとうございます!
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