子供が自発的にあいさつできる、ということ
- 2018/07/04
- 12:14
最近考えていることがあります。
あいさつって、するのも大事だけど、そのあいさつを受け取る側も大事なんだなぁってこと。
おはよう おはよう
いただきます 召し上がれ
ごちそうさまでした よく食べたね
ありがとう どういたしまして
さようなら また明日ね、車に気を付けて帰ってね
いってきます いってらっしゃい
ただいま おかえり
ごめんなさい ううん、大丈夫
これらのあいさつは、すべて対になっています。
左側に青い文字で書いたあいさつを、先に子供に言わせようと、大人は躍起になりますが、(私自身そうなる傾向にあります)
私たちはあいさつを受け取る側でもあるのです。当たり前のようですが、忘れがちなことです。特に、子供が相手になると。
受け取る側の私たちのセリフは、温かい気持ちで受け取っていれば、言葉はきっと何でもいいのでしょう。
ただ「はーい」「はいよー」だけでもいいし、お互いの顔が見えるなら、笑顔でうなずくだけもいい。
(ただ、子供は言葉で返してもらうのが大好きですよね)
子供に、
あいさつをしなさい!ありがとうをいいなさい!
などという前に、受け取る大人が、穏やかな気持ちで温かく受け止めてあげれば、自然とあいさつが出てくるのかもしれない。
逆に言えば、子供は、「受け止めてもらえるか分からない相手」には、自然と自発的にあいさつは出来ないということ。
ここでいう、「受け止めてもらえるか分からない相手」というのは、
・その子の知らない人(人見知りしない子供もいるかもしれませんね)
・その子に、あいさつをさせてやる!という態度で向かってくる人
もしくは、どうせあいさつ出来ないだろう、という態度で向かってくる人
そんな時は、子供からのあいさつ部分をすっ飛ばして、受け手である私たちが、
「こんにちは」
「またね~!」
「大丈夫だよ~」
と話しかけるだけでいいのでしょう。
まずは、君からのあいさつを受け止めるよ!という態度を子供たちに示せる大人でありたい、
自分の子供だけでなく、地域で出会う子供たちにも。
(小学校が時々行う、「朝のあいさつ運動」へ違和感を感じる理由はここにありました)
今日はブログタイトルとは離れた記事を書きました。
もしかしたら、ブログタイトルをそのうち変えるかもしれません。
あいさつって、するのも大事だけど、そのあいさつを受け取る側も大事なんだなぁってこと。
おはよう おはよう
いただきます 召し上がれ
ごちそうさまでした よく食べたね
ありがとう どういたしまして
さようなら また明日ね、車に気を付けて帰ってね
いってきます いってらっしゃい
ただいま おかえり
ごめんなさい ううん、大丈夫
これらのあいさつは、すべて対になっています。
左側に青い文字で書いたあいさつを、先に子供に言わせようと、大人は躍起になりますが、(私自身そうなる傾向にあります)
私たちはあいさつを受け取る側でもあるのです。当たり前のようですが、忘れがちなことです。特に、子供が相手になると。
受け取る側の私たちのセリフは、温かい気持ちで受け取っていれば、言葉はきっと何でもいいのでしょう。
ただ「はーい」「はいよー」だけでもいいし、お互いの顔が見えるなら、笑顔でうなずくだけもいい。
(ただ、子供は言葉で返してもらうのが大好きですよね)
子供に、
あいさつをしなさい!ありがとうをいいなさい!
などという前に、受け取る大人が、穏やかな気持ちで温かく受け止めてあげれば、自然とあいさつが出てくるのかもしれない。
逆に言えば、子供は、「受け止めてもらえるか分からない相手」には、自然と自発的にあいさつは出来ないということ。
ここでいう、「受け止めてもらえるか分からない相手」というのは、
・その子の知らない人(人見知りしない子供もいるかもしれませんね)
・その子に、あいさつをさせてやる!という態度で向かってくる人
もしくは、どうせあいさつ出来ないだろう、という態度で向かってくる人
そんな時は、子供からのあいさつ部分をすっ飛ばして、受け手である私たちが、
「こんにちは」
「またね~!」
「大丈夫だよ~」
と話しかけるだけでいいのでしょう。
まずは、君からのあいさつを受け止めるよ!という態度を子供たちに示せる大人でありたい、
自分の子供だけでなく、地域で出会う子供たちにも。
(小学校が時々行う、「朝のあいさつ運動」へ違和感を感じる理由はここにありました)
今日はブログタイトルとは離れた記事を書きました。
もしかしたら、ブログタイトルをそのうち変えるかもしれません。
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