給食を無理に食べさせるのは、暴力であり虐待である(親野智可等さんのブログ記事より)前回の記事
先生の思い その1の続きをまだ書いていませんが、その前にこのようなブログ記事を見つけましたので、ご紹介します。
教育評論家である、親野智可等さんが書かれた文章です。
(クリックすると親野さんのブログ記事に飛びます)
「教職課程」という月刊誌の2014年9月号に掲載されていたそうです。
親野智可等さんというお名前は、今までにも何度か聞いたことはありましたが、実際に、親野さんの書かれた本やブログなどを読んだことはありませんでした。
ですが、今回初めて親野さんの書かれた文章を読んで、とても、とても、共感しました。
こんな風に給食のことではっきり言ってくれる人がいるんだ!と心強く思いました。
「暴力であり虐待である」
このように専門家の方がはっきりと言って下さると、とても重みがありますよね。
また、本文の中に出てくる小学校の先生の言葉を読んで、「こういうセリフ、うちの末っ子の先生もよく言っているなぁ」と思ったのです。
本文からそのまま抜粋しますと、、
『子どもがもう食べられないと訴えても簡単には許してくれず、「もうちょっと食べられるでしょ」とか「あとひと口食べなさい」などと執拗に言うのでした。』
というところ。。
末っ子の先生は、もう少しソフトな言い方(もう一口食べられるかな~?)で、執拗に言ったりもせず、割とすぐに残すことを許してくれるようですが、最終的に目指すところが「完食」であるという点では、親野さんのブログに出てくる先生と同じです。
先生の目指すところが「完食」なので、当然、完食する子は先生から褒められます。
「全部残さず食べられてすごいねー!!」「ぴっかぴかだねー!」などなどの誉め言葉をもらえることでしょう。
では、その言葉を聞いたまわりの子供たちはどう思うでしょうか?
もちろん「残さず食べると先生から褒められるのだな!」と思って、頑張って食べられる子供もいるでしょう。
ですが、先生の言動によって、
「完食することは素晴らしい!!」というクラスの雰囲気を作り上げることで、
どうしても「完食出来ない」子供たちは居心地悪く感じるのではないでしょうか?
それが登校(園)しぶりや不登校につながるのではないのでしょうか?
さきほどの親野さんの記事の中にも以下のように書かれています。
「先生は、完食を強制してはいないと言うかも知れません。
でも、直接的に強制していなくても間接的で巧妙な強制がそこにあるのです。
食べないと周りが許さないという雰囲気を作る、これは先生たちの常套手段です。」
そうなんです!私の言いたいことはまさにこのことです!
ですが、、、
こういうことを言うと、「子供を甘やかしている」と感じる方もいると思います。
「食べたいものだけ食べていたら、将来困るだろう」
「なんでも子供の言う通りにしていたらロクな大人にならない」
「苦手なものも我慢して食べることで栄養バランスのとれた食事になる」
「親が甘やかしているから、子供が我儘な偏食になるのだ」
などなど。
私自身も、末っ子の登園しぶりがある中で、担任の先生ではありませんが、他の先生から
「ここで甘やかしたら、小学校に行って困るのは子供ですよ」(グサッ)
と言われたことがあります。
きっとその先生も、善意で、良かれと思って私に言ってくださっているというのは、伝わります。
ですが、、、親野さんの記事にも下記のようにあります。
でも、善意で行われるのでよけい始末が悪いのです。
善意がもとだから、悪いことであるはずがない、子どものためなんだ、という思い込みがあります。
ですから、本当に個々の子どもの立場に立って、その苦しみを思いやってあげることができなくなってしまうのです。
給食が苦痛でたまらない、毎日密かに泣いている、学校に行くのもつらい、そういう子どもたちの弱々しい声に耳を傾けられなくなってしまうのです。(給食の残量調査について書かれている部分から抜粋)
どうか子供に強い眼差しを向けないでください。
「子供のため」というお面をかぶった強い力を、子供にも保護者にも向けないでください。
子供の成長を願う、あたたかい眼差しを向けてください。お願いします。
注:末っ子の担任の先生とは、お迎えに行った時に、給食のことで話し合ったり、園長先生の方針を伺ったりしていますが、
なかなか面と向かうと、子供のいる手前、先生に自分の考えを言うことが難しいです。
このブログを書いて、心の中の思いを文章にすることで、これからの先生や園との話し合いに役立てようと思っています。
もし同じような境遇の方がいらしたら、是非コメント下さい!!
学校(園)や担任の先生と、戦うのではなく、対話を通してこちらの考えが伝わるように努力します。(勝手に宣言!)
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